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by風人 |
橿考研列品解説♪

橿考研の秋期特別展「海を越えたはるかな交流」-橿原の古墳と渡来人- の列品解説に行ってきました。
千塚古墳群126号墳出土のガラス器や耳飾は前から好きで、
出来たらゆっくり勉強もしてみたいと思っていたのですけど・・・。(^^ゞ
今回の展示は、新沢126号墳とその周辺というサブタイトルが付いていたし、
さらに、風の書でも書いていました「白虎の描かれた漆盤」のパネル展示もありましたので、大いに期待していました。(^^)

展示は二部屋分あり、かなり見応えのあるものでした♪
自分の住む町から出土した物でもあるので、なおさら興味も引きます。
特に、南山4号墳など年に数度は近くまで行くのですが、
改めてその価値を知ったりして感動ものでした♪ (^^)
千塚では126号墳からの出土品や109号墳の三環鈴、
また他では南山4号墳の動物型異形高杯なんかにも目が止まりました♪

とにかく、面白かったです♪

昼食をさわさんで済ませて、実際に千塚古墳群に行ってみることにしました♪
久しぶりに橿原神宮の中を通り抜け、橿原神宮西口駅の近くから千塚に向かいます。
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北側から史跡公園に入り、81号墳から126号墳に向かいました。
千塚古墳群は、史跡指定されている北側だけで約370基、
全体では600基を超え(再調査などによって100基増える?)ると言われています。
126号墳は、その古墳群の北側のほぼ中央部分に位置します。

探すほども無く、126号墳に到着♪
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b0048276_17121853.jpg126号墳は、5世紀後半に築造されたと言われています。
東西に22m、南北に16m、高さ1.5mの長方形の墳形をしています。
副葬品は、ガラス器をはじめとして重要文化財に指定されるほどの物がたくさん出土しています。
左は、現地案内板の出土品の表です。
まとまって本物を見れるのは、今回のような機会だけなので、特別展はσ(^^)にはありがたい企画です。
金の耳飾は有名ですが、今回は指輪も目を引きました。
歩揺などは、復元展示もされていましたし、
副葬品が木棺のどの場所に置かれていたかも分かりやすく表されていました。

史跡公園をほんの少し探検して、宣化天皇陵から益田池堤跡を通り、
橿原神宮前駅から帰宅しました♪

あぁー楽しかった♪
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by風人 | by asuka-210 | 2006-10-15 17:20 | 飛鳥風(飛鳥歩記)
立待月
今宵は立待月♪
良く晴れて、煌々と照っています。
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雲が周りに無くて、またまた天体写真になってしまいました。(^^ゞ

今日は、足のクールダウンがてら、飛鳥散歩をしていました。
空が奇麗な一日で、収穫もたっぷりありました♪
飛鳥で午後3時頃です、彩雲というのか変種の虹と言うのか、
天頂の薄雲が、七色に輝きました。
僅かな時間でしたけど、飛鳥観光の人達も足を止めて空を見上げていました♪
今年、彩雲?を見たのは二回目です♪ (^^)
昔は、瑞雲とも慶雲とも呼ばれて、吉兆とされていたそうです。
何か良いこと有るかな? o(^^)o
写真は後ほどアップしますので、「週刊飛鳥便り」で見てください。

それから、甘樫丘でフジバカマやぬばたまを撮影して、
情報を確認に、東麓遺跡に足を向けました。
掘ってました♪ 知っていたのですけど、
作業が始まるのを待って書こうと思ってました。
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谷の奥まったところなので、今掘っている所は大きな建物は出ないかもしれないです。
しかし、前回発掘調査の続きですので、
蘇我氏の邸宅の一部が検出されるかも知れません。
これから始まるところですので、楽しみに待つことにしましょう♪
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by風人 | by asuka-210 | 2006-10-08 22:34 | 風任せ(日記・雑記)
藤原宮朝堂院東第四堂
いろいろ分かってきた藤原宮♪

藤原宮朝堂院東第四堂は、立派な礎石建物で、東西11.5m、南北63mの規模があります。藤原宮朝堂院には、東西に各六棟の建物があり、儀式や会議に使われていたとされています。
第四堂は、治部省、雅楽寮、諸陵寮が置かれていたのではないかと考えられています。

b0048276_23292532.gif今回の調査で、この建物が建設途中で東西で3m縮小された痕跡が検出されました。
先年行われた第三堂の発掘調査でも同じような状況が確認されているのですけど、
何らかの事情で設計が変更されたようです。

奈文研では、701年の大宝律令などで定まった役人の階位によって、建物の大きさにも差をつけたのではないかとしています。

第四堂は、第一堂より大きく、第二堂より小さな規模です。

大臣クラスが着座した第一堂は小さいのですけど、廂が付き中国風の椅子に着座するような構造であったことが分かっています。
第二堂は、大納言クラスが席を占めていた堂で、規模は一番大きくなっています。

また、第四堂の下層からは、5世紀末ごろ築造の直径約16mの円墳が発見されました。墳丘は、第四堂を建てるため完全に破壊されていたようですけど、碧玉製の管玉などの副葬品や埴輪などが発見されたようです。
書紀には、古墳の破壊による遺体の別場所への埋葬を指示する記事がありますが、その掘削され破壊された古墳が宮内で発見されたのは、今回が初めてだそうです。

明日は、現地で発掘成果の説明会があります。↓
参加してきますね♪ で、写真付きレポページを作る予定です。
ただし、内容はこの書き込み程度ですけどね。(^^ゞ
藤原宮現説は、ここ数年ほぼ欠かさず行っていましたので、明日も必修です♪ (笑)
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by風人 | by asuka-210 | 2006-09-29 23:28 | 飛鳥風(飛鳥歩記)
邪馬台国

今日は夕立も無く、一雨欲しいなぁなどと勝手なことを思っていた風人です。
公私共に、秋に向かって忙しくなりつつあります。(x。x)゜゜
しっかり体調も整えなければな。夏バテとか言ってられません。


先日、ネット配信されたニュース記事を見ていると、
邪馬台国の所在地が、近年の発掘成果によって「畿内大和説」に有利に傾いていると書かれていました。
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半~中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳を中心にした古墳と、瀬戸内海の東部(岡山・兵庫や徳島など)の古墳に強い結びつきがあったことが解明されてきたのだそうです。
初期の前方後円墳であること、木槨の中に木棺を納めた二重の埋葬施設であること、画文帯神獣鏡など中国製の鏡が埋納されているなどが、共通の特徴とされています。

ホケノ山古墳がある纒向遺跡の辺りは、大和王権発祥の地とされてきたところです。いわゆる三輪王朝です。纒向遺跡からは瀬戸内東部や山陰、東海など各地からの搬入土器が数多く出土していることで知られています。つまり、広範囲の地域と行き来があったことになります。

この地に、大きな国があったことは間違いのないところですが、それが即邪馬台国なのかと言うと、全く無知ではありますけど、全面的に肯けないものがあります。

河〇先生などは、間違いないと仰せですが、はたしてどうでしょうか?
成り行きを興味深く見ていたいと思います。
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by風人 | by asuka-210 | 2006-08-23 22:48 | 風任せ(日記・雑記)
京の東の丘
飛鳥京の東の丘と言えば、酒船石を思い起こす人も多いと思います。
土木工事好きの斉明天皇が、何やら造ったのではとされるところです。
天理砂岩のブロックを積み上げて、石の丘を造ったみたいですね。
丘は版築がされていて、あたかもピラミッドのようでもあります。

その丘の復元案が明日香村教育委員会によって、
調査報告書としてまとめられたようです。
復元案によると砂岩のブロックは、4万~6万個に及ぶとされています。
かなり数字に開きがあるのですけど、一段違えばそうなる大きさであったのでしょう。
丘の頂上近くを、長さ約700mにわたって取り巻いていたようです。

L字に斜面を切り取って、版築してした上に花崗岩の基礎石を置いて、
その上に砂岩ブロックを積み上げていたようです。

調査報告書として作成されているので、どこかで閲覧できればと思っています。
只今、問い合わせ中。
面白いことが分かったら、またなんぞの形にて。。


台風17号(マリア)が来そうですね!
徐々に東に曲がりつつあるようで、夏の迷走台風になるのかも・・・。
雨は久々嬉しいところですけど、被害のない程度であってほしいですね。
皆さん、お気をつけて。
σ(^^)も、明日は早帰りしようかな。

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あっ、この子は、孫ではありません。子供でも。(笑) ひまりんでっす♪
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by風人 | by asuka-210 | 2006-08-07 22:34 | 風任せ(日記・雑記)
これが現実!
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今日の観覚寺遺跡です。
もちろん観覚寺遺跡は、重要な広範囲に及ぶ多層遺跡なんだと思います。
けど、これが現実です。

住宅建設に伴う緊急調査では、坂上田村麻呂?の遺跡は僅かな期間も残りません。
あっという間に埋め立てられ、知っている者だけが分かる状態になります。
この遺跡も、数ヵ月後に埋め返した土が目立たなくなり、家が建つと、
見に行ったσ(^^)でも分からなくなり、
痕跡すらなくなるのは時間の問題だと思います。

それは、仕方の無いことなのだとは思います。
σ(^^)がどうこう言うことも出来ないのですけど、
大騒ぎする高松塚やキトラとこの遺跡の何が違うのかってことが分からなくなります。
全てを保存しろなんて言ってるのではなく、せめて発掘の成果を分かるように、
また短期間でも良いから遺跡の公開などの方策は無いものかと思います。

遺跡の発掘調査の情報が流れた後の最初の土曜日、
もう埋め立てられているのなら、誰が見ることが出来るのでしょう?
これで埋蔵文化財を理解し大切にしろって、それは無理だと思います。
大壁建物ってどんなの? 遺構を見れば一目瞭然。
見ないと分からないですよ。
そこらをちゃんと考えないと、この国は歴史を持たない国になってしまうのではと思うのです。
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by風人 | by asuka-210 | 2006-07-22 23:06 | 飛鳥風(飛鳥歩記)
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