皆さんともブルーシートの見学(笑)で何度も訪れていた島庄遺跡で、
7世紀中ごろの塀とみられる柱列跡が東西方向に一列分見つかったそうです。 昨年末、島の庄のお寺の近くで見つかった塀の柱列跡と延長線上で直交することや、 柱穴の大きさが同規模であることから、一連の施設だった可能性が強いと思われま す。 場所は、馬子邸にあったとされる方形池の北側約50メートルで、 一連の施設の北限であった可能性が強くなります。 この塀は、方形池の東側で以前に見つかっていた7世紀中ごろの建物の方位と合うこ とから、 同時期に築かれたとみられます。 つまり、馬子亡き後に島の邸が再整備された時代にあたるようです。 またすぐ北側では、7世紀代の石組み溝(幅約30センチ)の底面が約8メートルにわ たって出土しているようです。 現在も唯称寺川という溝のような川があるのですけど、 それとの位置関係は情報を得た段階では不明です。 飛鳥川の水をこの辺りに通す施設のように思うのですけれど、どうでしょうか。。。 発掘現場は12日まで一般公開。公開時間は午前10時から午後3時。 先日発表された遺跡のロングラン公開の第一弾になりますね♪ 詳しく分かれば、また報告します。 島庄遺跡は、島の宮となった時点で最大面積に達するのだろうと思います。 北は、川と丘が迫っていますので、地形的に見て今回の塀遺構が北限になるものと思われます。 南は、飛鳥川とミハ山があるので、あまり広がりを見せませんが、 西は川を越えて橘の一部に及ぶのではないかと思われます。 東橘遺跡がそれにあたるようですけど、σ(^^)には確証はありません。 この大きな宮域の意味は何なのでしょうか? 自給自足? 薬草園? 単なる東宮とは思えない広がりを見せているように思えるのですけど・・。 by風人 |
by asuka-210
| 2006-03-01 12:57
| 風任せ(日記・雑記)
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